「源氏物語 橋姫」(紫式部)

薫のアイデンティティーの確立

「源氏物語 橋姫」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館

源氏の異母弟・八の宮は、
二人の娘とともに宇治で
世を忍ぶ生き方をしていた。
その噂を聞いた薫は、
彼を敬服し、
宇治を度々訪問するようになる。
晩秋のある日、
八の宮の留守中に訪れた薫は、
姫君に仕える老女・弁から、
ある秘密を…。

源氏物語第四十五帖「橋姫」。
宇治十帖の幕開けとなる
本帖で注目すべきは、
もちろん今後の筋書きの中心となる
八の宮の二人の姫君・大君と中の君の
登場でしょう。
しかしそれとともに重要なのが、
薫が自らの出生の秘密を
知る場面であると考えます。

薫に秘密を打ち明けたのは、
八の宮の姫君付の老女房・弁でした。
この老女は何者か?
実は薫の実の父・柏木に仕えていた
女性なのです。

作者・紫式部の人物配置は絶妙です。
柏木と女三の宮の
密通を可能にしたのは、
それぞれに仕えていた女房の暗躍です。
女三の宮側の女房・小侍従は、
女三の宮の乳母の娘。
一方、柏木側の女房が
この弁の君(彼女もまた
柏木の乳母の娘)だったのです。
柏木から女三の宮へと渡された
「密書」(恋文)は、
柏木→弁の君→小侍従→女三の宮の
流れで手渡されていたわけです。
それ故、柏木と三宮の秘密を知る
数少ない者の一人が弁だったのです。

さて薫ですが、
「匂兵部卿」でも記したとおり、
その姿には
常に影がつきまとっています。
恋愛を好まず、自己を抑制し、
まだ元服を終えたばかりであるのに
出家を志すなど、
早くも老成しています。
その「厭世観」ともいうべき
彼の心の影は、
自分が何物であるかという
疑念と不安を常に抱えているところから
来ているのです。
世間一般では源氏の息子ということに
なっているものの、
似ているところは少なく、
違和感だけが彼の心を覆っていました。
それが「厭世観」に
つながっているのです。

つまり、自分の父が
柏木であることを知った薫は、
これまで心を覆っていた
暗い影の正体を知り、
それを払拭することが
できるようになったのです。
今でいうアイデンティティーの
確立というものでしょうか。

八の宮邸への出入りは、
同時に美しい姫君との邂逅も
薫にもたらしました。
影を取り払った薫の心が、
その出会いに
反応しないはずがありません。
となると当然そこから
物語が始まることになるのです。
これこそが宇治十帖の幕開けなのです。

(2020.11.14)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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